2011年3月30日水曜日

【ながぐつプロジェクト第1弾 詳細レポート】 亘理町荒浜地区へ


全ての荷物を運び終わり、一旦休憩。

亘理町での地震の様子、東京での地震の様子をお互い話しました。僕らは亘理町での様子を興味深く聞いておりましたが、一方で50階建てのビルが停電になったりする話など、東京での様子は逆に亘理町にはない風景でしたので、興味深く聞いておられました。

しかし、亘理町についてからの短い時間の中で不思議に思っていることがありました。私たちは、津波から安全な避難所を回っているためか、テレビで見たような光景に全く触れることがなかったのです。地震があったことを認識させるものといえば、瓦屋根の家の瓦が落ちているところにブルーシートをかけている家が点在していることくらいです。

倒壊した家がない点は、16年前の神戸のときとの決定的な違いだと思います。宮城の方に聞くと、みんな同じように、近い将来間違いなく大地震が来ることが明らかであり、そのためにとても厳しい耐震設計で最近の家は作られていたと話していました。

16年前は、多くの家やビルが倒壊し、高速道路や鉄道の橋が落ちたため、交通インフラの復旧にはとても時間がかかりました。一方今回は、高速道路も23週間でほぼすべての道路が復旧し、新幹線も2か月せずに全線開通の予定です。

いずれ今回の地震の検証がされるときには、建築物の耐震設計は世界に誇れるレベルにあり、過去からの経験の積み重ねの上に培われてきた技術があることは評価されていいのではないかなと思っています。

話がそれましたが、休憩後、町の方に促され、海岸部の荒浜地区に車で移動。海岸線から34kmくらいのあたりから、道の両脇に泥が残るようになり、加えて小さなボートが道路脇に残っています。津波の足跡がすこしずつ見えてくるようになりました。

仙台東部有料道路を過ぎると、風景が一変します。一変という言葉では伝えきれないくらいの変化です。この道路はずっと土手状に仙台市内まで作られており、ある種堤防のような役割を果たしました。亘理町のより中心部への被害の軽減化(といっても、すごい被害なのですが)をもたららしたと聞きました。逆にこの道路がちょうど亘理町の先で終わっているために、南隣の山元町は津波の被害が大きいと聞きました。

通行止めであったり、がれきが道をふさいでいたりしているため、一本道をまっすぐ海岸に向かって進みます。見える風景は見るに堪えず、言葉になりません。一緒に来ていただいた方もこの地域を見るのは初めてのようで、みんな言葉を失っていました。

地震から、そして津波から、すでに2週間。いまだ水が引きません。海に近いため、標高はほぼ0m。そこに地震が起き、地盤沈下で70cm下がったとのことでした。この水たまりを越えて、家に荷物を取りに行く方がいらっしゃるとすれば、長靴の意義も多少はあるのではないかと思われます。

それから海に近づくにつれて、もう一つの変化が。それは、写真の上半分への映り込みが少なくなること。日本の町の風景に特徴的な、電柱・電線がなくなっていきます。僕らがあの場所で感じたことは、僕のこのつたない文章からも、またここに載せた何枚もの一方向だけを見せている、4,000×3,000ピクセルという点の集合では表せないものだと思います。あの地区に行くと、この風景が360°です。

これらの写真を見ながら、時間のある方はGoogleマップを開いて、同じ亘理町の荒浜地区の過去の写真を見てみてください。そこにあった生活を見ることができます。

海の向こうが見えないくらい、海岸沿いに並んでいた木々はいつ、元通りになるのでしょうか?

【ながぐつプロジェクト第1弾 詳細レポート】 ながぐつ積み下ろし・配送

午前8時前に町役場まで、僕らのメンバーの同級生である亘理町の方がやってきました。

町役場の物資をご担当されているサイさんをご紹介いただき、みんなでながぐつを車から降ろしました。写真を見ていただくと分かるとおり、よく2台のバンに積むことができたという量だと思います。
そして、これが今回皆様のご協力を頂いて、亘理町にお渡しすることになった長靴。本当にどうもありがとうございました。
今回持って行った約500足の長靴は、各避難所の避難者数に応じて、比例配分することになっていました。複数サイズを用意してきたため、各避難所に置いてくる数に合わせて、バランスよく分けました。

現地はガソリンを手に入れるのが大変なので、そこから各避難所まで配るところまでお手伝い。2台の車で6か所を分担して配送。町の大きさもコンパクトであることもあり、10時には全ての長靴を所定の場所に配り終わり、今回のミッションは一応達成することができました。

【ながぐつプロジェクト第1弾 詳細レポート】 亘理町へ

2011年3月25日午前0時出発。

東北道に入ると、浦和の料金所には消防車・救急車・パトカーの長い隊列が料金所を通過するのに1列に並んでいました。

平日の夜かつ24日に東北道が一般車両向けに全線開通したということもあるからか、対向車線も、また東北に向かう車線も通行量は少なかったです。そのため、道のりは順調。一方で、対向車線は、緊急車輌の通行量が多い印象を与えました。

東北道の二つ目の印象は、ずっと真っ暗だったこと。街路灯も案内表示の表示等も節電で電気が消されていました。

上河内SAで満タンに。栃木県内のSAは、午前2時、3時という時間でもガソリンを入れたい車で相当混雑していました。僕たちの車も待つこと30~40分、やっと軽油を入れることができました。

時間も午前3時を指し、気温は0℃。気温以上に寒く感じます。那須高原SAを出ると、すぐ福島県に入ります。
福島県内に入ると、東北道の様子は一変。道路わきには紅白のカラーコーンが無数に立てられていて、「段差あり」を教えてくれます。福島県内で100箇所以上あったかもしれません。

福島ICを過ぎて、さらに進むと、4月下旬に全線開通予定と言われている東北新幹線の高架と交差。しかし、架線を支えるために垂直に立っていなければならない、架線柱は無残に斜めに倒れていました。
明け方国見SAに到着。まだ6時前だからか、ガソリンを入れるのに並んでいる車はほとんどありませんでした。ここを過ぎると、宮城県。チェーン規制がかかっている区間で、かつ山間部なので周囲も真っ白です。
白石ICを降りて、国道4号線を進み、阿武隈川を渡り、カーナビの示す裏道を進んでいくと、亘理町はすぐそこです。
高速を降りて、新しく目に入ってくるのは、ガソリンスタンドの開店を待つ、車の長蛇の列。それとは別に人間も長蛇の列を作っていますが、こちらは灯油待ちの列。今日あかないスタンドに並んでいる人もいます。

午前7時30分すぎ、無事亘理町役場に到着しました。

【ながぐつプロジェクト第1弾 詳細レポート】 積み込み

2011年3月25日(金)

ついにプロジェクトスタート。

おりしも時期は月最後の週末の金曜日。トラックとバンで行く予定が、引っ越しシーズンとも重なり、どれだけ探しても、レンタカーのトラックを見つけることができませんでした。
結果的にバン2台になってしまったため、長靴500
足全て載せられるか、確信を持てないまま、走り出しました。ただ、待っている人がいるので、積み残しは絶対にしないように。

平和島にある、作業用品卸の株式会社キタヤマに19時集合。すでに1台のバンに200足の長靴を積み込み済みでした。ここの北山社長には、本当にお世話になりました。また従業員の方々もとても優しかったです。最後出発前に、さらに軍手の袋を3袋もいただきました。本当にどうもありがとうございました。

平和島を後にし、次は今回お世話になった矢地さんのお宅へ。
矢地さんは大学院の先輩で、彼は相馬市への物資運搬をされている方をサポートされています。先に活動をしていた矢地さんに、こちらのプロジェクトのことをお伝えすると、アドバイスもいただき、また長靴300足の調達もしていただきました。

しかし、ここで問題発生。半ば予想していた通り、長靴500足分をバン2台で運ぶには多少スペースが小さかったようで、あと数箱を残して、バンに荷物を載せるスペースがなくなりました。最終的には、残った箱に入っている長靴を、箱から出してバンの上や横の空いているスペースに入れることですべて積むことができました。

前日の24日から一般車両の通行が解除となった東北道。しかし、出発前の東北道の情報を見ていると、雪も降っているようで、白石ICで降りるまでに途中2か所、チェーン規制がかかっているところを通っていくことになりました。