全ての荷物を運び終わり、一旦休憩。
亘理町での地震の様子、東京での地震の様子をお互い話しました。僕らは亘理町での様子を興味深く聞いておりましたが、一方で50階建てのビルが停電になったりする話など、東京での様子は逆に亘理町にはない風景でしたので、興味深く聞いておられました。
しかし、亘理町についてからの短い時間の中で不思議に思っていることがありました。私たちは、津波から安全な避難所を回っているためか、テレビで見たような光景に全く触れることがなかったのです。地震があったことを認識させるものといえば、瓦屋根の家の瓦が落ちているところにブルーシートをかけている家が点在していることくらいです。
倒壊した家がない点は、16年前の神戸のときとの決定的な違いだと思います。宮城の方に聞くと、みんな同じように、近い将来間違いなく大地震が来ることが明らかであり、そのためにとても厳しい耐震設計で最近の家は作られていたと話していました。
16年前は、多くの家やビルが倒壊し、高速道路や鉄道の橋が落ちたため、交通インフラの復旧にはとても時間がかかりました。一方今回は、高速道路も2~3週間でほぼすべての道路が復旧し、新幹線も2か月せずに全線開通の予定です。
いずれ今回の地震の検証がされるときには、建築物の耐震設計は世界に誇れるレベルにあり、過去からの経験の積み重ねの上に培われてきた技術があることは評価されていいのではないかなと思っています。
話がそれましたが、休憩後、町の方に促され、海岸部の荒浜地区に車で移動。海岸線から3~4kmくらいのあたりから、道の両脇に泥が残るようになり、加えて小さなボートが道路脇に残っています。津波の足跡がすこしずつ見えてくるようになりました。
仙台東部有料道路を過ぎると、風景が一変します。一変という言葉では伝えきれないくらいの変化です。この道路はずっと土手状に仙台市内まで作られており、ある種堤防のような役割を果たしました。亘理町のより中心部への被害の軽減化(といっても、すごい被害なのですが)をもたららしたと聞きました。逆にこの道路がちょうど亘理町の先で終わっているために、南隣の山元町は津波の被害が大きいと聞きました。
通行止めであったり、がれきが道をふさいでいたりしているため、一本道をまっすぐ海岸に向かって進みます。見える風景は見るに堪えず、言葉になりません。一緒に来ていただいた方もこの地域を見るのは初めてのようで、みんな言葉を失っていました。
地震から、そして津波から、すでに2週間。いまだ水が引きません。海に近いため、標高はほぼ0m。そこに地震が起き、地盤沈下で70cm下がったとのことでした。この水たまりを越えて、家に荷物を取りに行く方がいらっしゃるとすれば、長靴の意義も多少はあるのではないかと思われます。
それから海に近づくにつれて、もう一つの変化が。それは、写真の上半分への映り込みが少なくなること。日本の町の風景に特徴的な、電柱・電線がなくなっていきます。僕らがあの場所で感じたことは、僕のこのつたない文章からも、またここに載せた何枚もの一方向だけを見せている、4,000×3,000ピクセルという点の集合では表せないものだと思います。あの地区に行くと、この風景が360°です。
これらの写真を見ながら、時間のある方はGoogleマップを開いて、同じ亘理町の荒浜地区の過去の写真を見てみてください。そこにあった生活を見ることができます。
海の向こうが見えないくらい、海岸沿いに並んでいた木々はいつ、元通りになるのでしょうか?



