その後、車で亘理町の荒浜地区と宮城農業高校を見に行く。
仙台東部道路の入り口を過ぎて荒浜地区に入っていくと、2週前よりもがれきの撤去がもっと大がかりに進んでいたこと。とはいえ、そのエリアも広いため、まだ手つかずの地域のほうが多い印象。3月11日に卒業式があった荒浜中学校の体育館に見えた、紅白の幕もすでに取られていました。
ここは阿武隈川の河口域でもあり、川からも乗り越えてきたと思われる津波にやられている様子であった。目の前には亘理大橋があるが、この橋は今見ると水面からかなり高いところにあるが、当時は水がすれすれまで来て、橋の上で人が取り残されていたとのことでした。
この橋を渡り、岩沼、名取へと比較的海沿いに近いところを仙台空港方向に進みます。
海岸に近いところをずっと走って行ったため、本当に建物という建物がありません。そんな中、海に近いところに立つ南浜中央病院の建物は残っていましたが、ここも津波後孤立していたと聞きました。
仙台空港まで着くと、通常はしっかりとフェンスでおおわれている空港の敷地が、一部そのまま入れるような状態になっていました。そこから農業高校にさらに海沿いの閖上(ゆりあげ)方向に向かう道路を通っていきたかったものの、通行止め。
陸側を迂回し、農業高校に着きました。地図で見ると、本当に海から近いので、津波が来たあとは屋上で夜を明かしたそうです。周囲には工場があったのか、タイヤがものすごい数散乱していて、川は油で汚れ、かなり匂いがしていました。
亘理に戻ってきたときには、きれいだった車はドアの高いところまで泥がつくような状態でした。
18時半過ぎに、私たちは亘理町を出発しました。
すでに暗くなっており、東北道も真っ暗。そのため心なしか、段差を示すコーンも多く感じました。
国見SAには、石巻から戻る途中の赤十字の方が数多く休憩されていました。
結局、私が武蔵小杉に着いたのは日付変わった2時前。さらに内藤さんが最後に車を返し、家に帰り着いたときには3時半で、ほぼ24時間内藤さんは活動していたことになりました。
お疲れ様でした。
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